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天平の甍 井上靖著 [文学]

1300年近くも前の聖武天皇の時代、日本は疫病の流行や飢饉で荒廃していました。 聖武天皇は、信仰が深く、日本の危機を仏の力で救うおつもりでした。 東大寺大仏建立の詔を出しましたし、中国から高僧を招くことも考えました。
普照と栄叡の留学僧が、唐の国に派遣され、苦難の末に鑑真和尚が来日します。 幾度となく船が難破し、鑑真は視力を失ってしまったことは、様々な伝記やアニメなどでも紹介されていますから、ご存じない方の方が少ないでしょう。

『天平の甍』は、普照たちが苦難の末に鑑真を日本に招く物語。映画化もされています。 井上靖は、多くの経典を一心不乱に書き写して日本に持ち帰ろうとしながらも自らも海の藻屑と化してしまい、いわゆる骨折り損のくたびれ儲けになってしまう業行という修行僧を登場させています。
私にとって印象的なのは、物語の最後の部分。 誰からかはわからないけれど、唐から普照に一対の鴟尾(瓦葺屋根の大棟の両端につけられる飾りで建物を火災から守る意味を持つ)が送られてきたというくだり。 恐らくは故あって唐に残った留学僧仲間の2人のうちのいずれかからではないかと普照は推測しています。 

2年ほど前、唐招提寺平成の大修理の特別番組の再放送を見ました。 唐招提寺の金堂は763年の鑑真の死後30年以内に建てられたものと推定されていますが、屋根に載せられている鴟尾のうち、東側の部分は鎌倉時代1323年の補作で、西側の部分は創建以来1200年以上もの間風雨にさらされながらも唐招提寺を守ってきました。 今から1200年以上も昔に1200年の耐久性のある鴟尾を焼き上げた職人芸。天平文化の高度な技術を今に伝えていますね。 鎌倉時代に作り直された鴟尾は、奈良時代のものよりも品質が劣るそうです。 番組中の解説では、数百年の年月の間に陶器製鴟尾を作る技術が廃れてしまったのではとコメントしていました。
平成の大修理で、鴟尾は新しく作り直され、奈良時代のものも鎌倉時代のものも別途保管されることになり、現役引退しました。

日本史好きの私ですが、聖武天皇とその娘である孝謙天皇の時代はミステリアスで興味深いものです。 特に孝謙天皇は歴代の天皇の中でも特異でしたから、コミックや小説に数多く登場しています。 機会があれば紹介しましょう。
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