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童話 あしたか山郵便局 [創作]

高校2年生、16歳の時に書いた作品。拙い作品なので加筆修正したいのですが、折角なので原文のまま掲載します。


あしたか山郵便局は、あしたか山の中腹にあります。 狸の局長の他に、局員は窓口係のイタチと集配係のカラスだけというとっても小さな郵便局です。 でも、あしたか山の動物たちは、手紙を出したりもらったりするのが大好きですから、あしたか山郵便局は、いつでも大忙しです。 特にお正月ともなると、大きな柏の木をくりぬいたこの郵便局は、年賀状の束で一杯となります。

このあしたか山郵便局に、ある年大変な事件が起こりました。 大晦日の夜、配達するばかりになっていた年賀状の束が1つ残らず消えたのです。 元旦の朝、カラスは郵便局の扉を開けてびっくり玉手箱、すぐに銀杏通りのあしたか山警察署に飛び込みました。

「お巡りさん、お巡りさん。」
「何だね、正月早々騒がしい奴だ。」
こう言いながら出てきたのは、猿の巡査でした。この猿は、あしたか山警察署にもう30年以上は勤めていますから、かなり年はいっているはずです。
「お巡りさん、大変です。今日配るはずの年賀状が1通残らず消えたのです。」
「!!!・・・・・・・・・・???」
猿の巡査は、さっそく郵便局の現場検証を始めました。しかし、何の手掛りもつかめません。ただ、カラスだけが、扉の側に頭を出していた釘に銀白色の毛皮がほんの少しひっかかっていたのに気付きましたが、カラスは心の中にしまっておきました。

この事件は、たちまちあしたか山の麓から頂上まで広まりました。年賀状を楽しみに待っていた動物たちは大騒ぎです。
「一体、誰が盗んだんだ!」
「ひょっとしたら配達するのが面倒になって、カラスがわざと隠したんじゃないの?」
「最近、そういうのがはやっているからねえ。」
と、あげくの果てはカラスが悪者にされ、とうとう『カラスを罷免する会』までができる始末。狸の局長からも白い目で見られ、イタチからは全く無視されて、カラスは郵便局をやめることになりました。

あしたか山の頂上近くには、粗末な小屋が1つだけポツンと建っています。そこには、白狐が1人きりで住んでいました。この白狐こそが『年賀状盗難事件』の真犯人なのです。白狐はお日様が上がっている間は小屋の中に閉じこもり、外へ出るのはいつも夜になってからというちょっとした変わり者。なにしろ、あしたか山の動物たちは、その透き通るような白い毛皮を気味悪く思い、白狐を邪魔者扱いしたのですから、そうなるのも当たり前のことかもしれません。このような白狐ですから、今までに年賀状をもらったことは、ただの1度もありません。きっと、白狐はそのことを妬んで、年賀状を盗んだのでしょう。

カラスが郵便局をやめることを耳にした時、白狐は、
「日頃、悪いことをしているから、疑われたのに違いない。悪いことは、するものではない。」
とひとりごとを言って、別に何も気にしませんでした。

白狐がいやな夢を見たのは、その日のことでした。何か得体の知れない黒いものが、白狐の上に覆い被さってくるのです。次の日も、そのまた次の日も、その黒いものは現われました。それは、日が経つにつれて徐々に大きくなり、何かを形作っていきました。そしてある日、それは巨大なカラスと化し、白狐に対して、
「悪いのはお前だ!お前が悪いのだ!」
と叫びだしたのです。さすがの白狐も、これには相当めいったらしく、かなりの睡眠不足に陥りました。

そのようなことが数日続いたある夜、白狐は気分転換のためでしょうか、ゆっくり起き上がって外へ出ました。どこへ行くというあてもないままに1時間余り歩いた後、白狐はカラスの家の前へ来ました。何気なく中を覗いて白狐は「あっ」と驚きました。家の中では、カラスが自分の羽をペンにして、年賀状を書いていたのです。カラスが郵便局をやめてからは、誰もがカラスと接触することを避けたので、カラスはペンを買うことができなかったのです。インクも、赤が南天の実、緑が椿の葉を元にしてカラスが自分で作ったものでしたが街の文房具店で買えるどんな高価なインクよりも鮮やかな色をしていました。カラスは、あしたか山のすべての動物にお詫びを兼ねて書いていたのでしょう。白狐は、しばらくの間覗いていましたが、やがて自分の小屋へ帰りました。

数日後、あしたか山にある全ての郵便受けに、とってもきれいな年賀状が入れられていました。動物たちは、誰の仕業かは知りませんでしたが、とにかく大喜びでした。白狐は、自分の家の郵便受けにも年賀状があるのを見つけて、ちょっと驚きましたが、その年賀状の片隅に『もう、悪いことはやめましょう』と書いてあったのには、心臓が壊れんばかりに驚きました。そして心の中で強く叫びました。
「カラスは知っていたんだ。それなのに黙っていた。どうしてだろう。まあいい、明日になったら、麓まで下りていって、本当の事をみんなに言おう。それで自分がどんな目にあったとしても仕方がない。いや、そうなった方がいいんだ。」
白狐は、なぜか心の中がすっきりしていくのを感じました。

次の年から、あしたか山郵便局の局員は狸の局長を含めて4名となりました。また、取り扱う郵便の数も若干増えましたが、それは新しく集配係に任命された白狐に対するもののようでした。




これを読んだ同級生の一人の当時のコメント。(猿が)30年も勤めて巡査というのはかわいそう。せめて巡査長にしてあげないと。 今思えばそうかもしれませんね。

童話【野菜の気持ち】 [創作]

これはお肉やお魚になりたいと思った野菜たちのお話です。

【野菜の気持ち】

 町はずれにこじんまりとしたレストランがありました。いつもにこにこ笑顔が素敵なシェフが一人で切り盛りしています。料理の腕前が確かな上に、日々、素材についての研究を重ねていましたから、それはそれは美味しい料理をいただけます。お客様も大満足。「いつも美味しい料理をありがとう。」「何をいただいても最高ね。」帰りがけにシェフに感謝の気持ちを伝えます。ですから、肉も魚も野菜たちも幸せのはずでしたが…

 野菜たちの中には不満を抱く者がいたのです。お客さんは、いつも肉や魚のことばかり褒める。俺たちは所詮付け合せ。脇役にしか過ぎないんだ。たまにはメインディッシュとして皿に乗りたいよ。
確かに、お客様は、「今日のお肉は格別ね。」とか「このお魚、新鮮で美味しいわ。」と肉や魚への賞賛はよくあっても、野菜を特別に褒めることはめったにありません。野菜たちの言い分にも一理あります。

 野菜たちは思い切ってシェフにお願いしました。「シェフさん、私たちも同じ素材の一員なのに、肉や魚ばかりに日が当たって日陰の存在になっているような気がします。私たちをメインディッシュにしてください。」
素材の気持ちを大切にするシェフでしたから、野菜たちの希望を聞き入れました。「今度は君たちだけで料理を作ってみるよ。何か希望はあるかい?」
レタスと胡瓜は、毎日お客様に美味しく食べてもらっていて特に不満はありませんでしたから、「私たちはいつもと同じでかまいません。美味しく食べてもらえれば幸せです。」と答えました。
葱とプチトマトは、「私たちも、特に不満はありません。でも、せっかくなので、存在感を少しだけアップしてもらえたら嬉しいです。」と答えました。
茄子は、「私はいつも魚が羨ましいと思っているので、魚にしてください。」とお願いしました。
牛蒡は、「私はかねがね肉に負けたくないと思っているので、肉にしてください。」と頼みました。
シェフは、真面目な顔をして野菜たちの話を聞いていましたが、「君たちの気持ちはよくわかったよ。来週の土曜日に希望を叶えてあげよう。」と言いました。

 土曜日になりました。野菜たち、とりわけ茄子と牛蒡はわくわくドキドキです。いつもの野菜の存在から、魚や肉になれると思うと夢のような気持ちです。

 シェフは、レタスと胡瓜のシンプルサラダを作りました。いつもは生ハムや茹でた海老が一緒ですが、今日はいません。胡瓜のカットを少し変えて見た目を楽しくしたくらい。カットを変えても胡瓜であることは誰にでもわかります。ドレッシングもチーズは使わず、オリーブオイルとバルサミコ酢だけのさっぱり仕立て。野菜の味がストレートにわかります。
お客様から、「今日のレタスと胡瓜は味がしっかりしているね。特別に用意したの?」と聞かれました。レタスも胡瓜もちょっぴり嬉しくなりました。

 プチトマトと葱は串に刺して、ヒマラヤの岩塩をふって炭火でじっくりと焼き上げました。それぞれの味がぎゅっと濃縮されて野菜の美味しさが際立ちます。
お客様の感想は「トマトも葱もこうしていただくと味わい深いものだねえ。」プチトマトも葱も鼻高々です。

 茄子は、皮を剥かれてから薄くスライスされ、オーブンでこんがり焼かれて、醤油、酒、砂糖の甘だれを塗られて更にこんがり焼かれました。見た目からはもう茄子には見えません。匂いもあって、一見鰻の蒲焼風です。自分が魚になれたような気がして茄子は気持ちが高ぶりました。お客様の反応が待ち遠しくてたまりません。
で、お客様がひとこと、「これ何?出されたときは鰻かと思ったけど食べてみたら違うのよね。よくできているけど鰻ではないわ。味は悪くはないけど。」
シェフは、何も答えずに笑っていましたが、茄子はがっかりしました。自分は魚になれたと思ったのに、お客様は魚とは思ってくれなかったのです。

 料理する前に、シェフは牛蒡に尋ねました。「ポークエキスを使うと、より肉らしく仕上がるけどどうします?エキスを使うのは自然ではないけど。」牛蒡は、肉により近づけるならと思い、「使ってください。お願いします。私は肉になりたいんです。」と答えました。
 シェフは牛蒡のただならぬ気配を察し、念入りに調理しました。笹掻きにしてから塩水に長時間晒して丁寧に灰汁抜きをしましたから、牛蒡本来の味や香りはほとんどなくなってしまいました。更に包丁で丹念に叩いてから小麦粉をまぶしてポークエキスを混ぜ込み、パン粉の衣をつけて油で揚げてカツレツに仕上げました。人参、玉ねぎ、セロリなどの野菜をすりおろした特製ソースでさっぱり仕立ての食べやすい一品に仕上がりました。牛蒡は塩水に晒されたり、包丁で叩かれたりと辛い思いをのしましたが、肉になれるのならとの一心で堪えていました。出来上がりはポークカツレツそっくりでしたから、牛蒡はうれしくてたまりません。辛い思いをした甲斐があったと思いました。
 お客様の感想は、「これ何かしら?ポークカツレツのようで微妙に違うのよね。このソースとてもよくできているから、今度ポークカツレツにかけていただきたいわ。
 牛蒡は落胆しました。自分としては肉になったつもりだったのに、お客様からは肉としては認めてもらえなかったのですから。シェフの腕前が悪いわけでもなく、手を抜いて料理したわけでもないことは牛蒡もよくわかっていました。

 結局のところ、野菜であることを否定しなかった、レタス、胡瓜、プチトマト、葱はお客様にそのまま受け入れられましたが、本来の素性を隠そうとした茄子と牛蒡は、そのままでは受け入れられなかったのです。野菜はやはり野菜として振る舞うしかないのでしょうか。茄子も牛蒡も再び苦難の毎日を送ることになるのでしょうか。
 シェフは、何も言いません。相変わらず、毎日美味しい料理を、肉も魚も野菜も使って作っています。そんなある日のこと。2人連れのお客様がいらっしゃいました。
 「いつかの茄子の蒲焼、丼にして作ってくれる?」
 「私は牛蒡のカツレツ、特製野菜ソースでね。」